両耳が聞こえなくなり学校でいじめで暴力を受け続け絶望した…
初めまして、この管理人の町草です。
町草は小学生の頃から段々と聴力が低下しはじめ、その後に医者から両耳とも感音性難聴だと診断されました。
感音性とは耳の奥にある聴神経などに異常が起きている状態で、補聴器で音を増幅させても脳に正しく伝わらないため聞き取りが困難になる特徴があります。
小学校卒業後はろう学校ではなく家の近くにある普通の中学校に通ったのですが、その時に健聴者の同級生の一人から日常的に暴力を受け数々の嫌がらせを受けました。
ある日「補聴器を付けているのに声だけ聞こえないなんて、おまえおかしいぞ!」と言われて、いじめがスタートしたことを覚えています。
感音性についていくら説明しても「言い訳するな!」「甘えているだけ!」と言われ、何度も殴られ内出血するほど皮膚をつねられると暴力を受けました。
ある時に募金の針でいきなり腕を刺されたことがあり、びっくりして相手を見たら本当に楽しくてたまらないという感じで笑っていたのを覚えています。
当時は辛さに耐えるために何も感じないようにしていて、そうしているうちに感情が消えて何をやっても楽しいと思わなくなりどんどん無気力になっていきました。
既に中学を卒業して10年以上経ちますが、いまだにいじめのニュースや街中で中学生を見るといじめられた時の記憶と恐怖がよみがえってきます。
聴覚障害の程度が重いためうちの会社ではフォローできないと軒並み断られて、就職を失敗したこともあり、段々と人生に希望が持てなくなり絶望していました。
そんな時に管理人を救ってくれた1冊の本があります。
「気づきの瞑想」で得た苦しまない生き方(クリックでAmazonのページに飛びます)
著者はカンポン・トーンブンヌムさんというタイの方で、24歳で全身麻痺とかなり重い障害を負ってしまった人です。
「気づきの瞑想」で得た苦しまない生き方 カンポン・トーンブンヌム
管理人を救ってくれたのが「「気づきの瞑想」で得た苦しまない生き方 カンポン・トーンブンヌム(著)」という本です。
なぜこの本が絶望から救ってくれたのかと言うと、次の2つが大きいです。
①著者の方が自分よりもはるかに困難な状況にいて、それでも何とか乗り越えることが出来た
②どうやって乗り越えたのか何をやれば良いのかアドバイスと共にはっきり書いてくれた
正直なところ自分よりも障害の程度が軽く、さほど困難ではないように見えれば「それはあなたの障害が軽かったからだよ」と読みもしなかったでしょう。
しかし、カンポンさんは首から下の感覚がなく、事故直後は右手が少々動かせるだけで後は動かないというかなり重い障害です。
ちょっとトイレに行くにも誰かに運んでもらわないといけない…想像するだけで大変ですね。
そして、どうやって重い障害を負ってしまった絶望を乗り越えて前向きに生きられるようになったのか、はっきりと書いてある点が非常に助かりました。
方法が書かれていなければ、「カンポンさんがすごい人だったから出来たことで自分は無理だな」で終わりです。
町草も書かれてあることを実践することで、あれほど絶望して強い無気力感に支配されていたのに、少しずつですが今では障害を受け入れて進めるようになりました。
ちなみに、乗り越えるための方法とは怪しいものではなくて、医療で使われている「マインドフルネス」とほぼ同じです。
以下ではカンポンさんとはどんな人で、どうすることで全身麻痺と言う重い障害を負っても絶望せずに前向きに生きられたのかご紹介します。
貧しい家庭に生まれ苦労して体育教師になったカンポンさん
タイの貧しい家庭に生まれたカンポンさんは、お金に苦労しながら寄宿舎から学校に通いました。勉強よりもスポーツが好きだったので、大学の体育学部に進学。
卒業後は教員採用試験に挑戦し、試験にトップ合格して晴れて体育の先生になりました。ところが、教師になって3年目の24歳の時に、プールの飛び込みに失敗して脊椎を損傷。全身が麻痺してしまう大怪我をします。
医者からは、「体を動かすことはできず、今後はずっと寝たきりになるでしょう」と言われます。
障害者になった直後は人生に期待が持てなく無くなり苦しんだ
今後、障害者として生きて行かなければいけない現実に直面したカンポンさんは、その時は現実を信じられず半分寝て半分起きているようなぼんやりとした状態だったと書いています。
ちょっとトイレに行くにも誰かの手を借りなければならず、1日の大半をベッドで過ごさなければいけません。せっかくなれた教師も、仕事ができないので退職するしかありませんでした。
管理人は全身麻痺ではなく聴覚障害ですが、それでも障害の事を受け入れるのは長い時間が掛かりました。
カンポンさんの場合は、全身麻痺というかなり重い障害ですので、非常に苦労したと思います。
カンポンさんを救ってくれたのは仏教の「気づきの瞑想」だった
タイは仏教国なこともあり、カンポンさんのご両親は仏教の本やお坊さんの説法テープを買って来てくれました。
それらを読んだり聴いている最中は苦しみが和らぐものの、やめると苦しさが戻ってきます…。次第に苦しさが戻ってくるのは、修行をしないからだと気づきました。
しかし、障害者だから修行をするのは無理だろうと考えて、なかなか踏み切れません。
仏教の修業は座ったり歩いたりして行うのですが、どちらも怪我が原因で難しいカンポンさんがそう考えるのも無理はありませんね…。
ある時に、ルアンポー・カムキエンさんというお坊さんに手紙を出し、自身の状況を書き記し障害者でも修行できる方法を教えてほしいと伝えます。
返って来た手紙には障害者でも修行が出来ると書いてあり、「気づきの瞑想」のやり方も書いてありました。
この気づきの瞑想はヴィパッサナー瞑想と呼ばれ、実はマインドフルネスとほぼ同じものです。
ヴィパッサナーは仏陀が存命していた古代インドのパーリ語で、英語にするとマインドフルネスになります。
ちなみに、日本で仏教の修業と言えば、座禅を思い浮かべる方が多いでしょう。
実は座禅のような瞑想はサマタ瞑想と呼ばれていて、ヴィパッサナー瞑想とは違うものです。
仏教にはサマタ瞑想とヴィパッサナー瞑想の2つがあり、初期はサマタ瞑想をマスターしてからヴィパッサナー瞑想をやる形でしたが、現在では宗派によって両方やったり片方だけやる感じになっています。
ヴィパッサナー瞑想とは、今起きている体の感覚を観察し気づきを高める方法です。
カムキエンさんからの手紙には手のひらをひっくり返すときの感覚をよく注意して観ることで、気づく力を高める方法が書かれていました。
ちなみに、ヴィパッサナー瞑想には、歩く際の足を注意して観る歩行瞑想や呼吸を観る呼吸瞑想などがあります。
カンポンさんは歩くことはできず何とか右手が動く状態でしたので、手のひらをひっくり返すことを修行法としたのでしょう。
気づきの瞑想を繰り返すことで心まで障害を負う必要はないと気づく
カンポンさんは動くようになった右手の手のひらを、表裏と動かしその感覚をしっかり感じる瞑想法を行いました。
朝起きてから寝るまで1日中やっていたので、寝る前には手の感覚が無くなるほどだったと書いています。
ただ、最初の1週間はいくらやっても何も得られなかったそうです…。
お坊さんからの返事をもう一度読んで修行を点検してみたところ、体ではなく思考に意識が向き過ぎていることを発見しました。
そこで、思考ではなく体の動きに意識を向けるようにすることで、思考も減り気づきの力が高まってきたのです。
瞑想をやっている最中に、飽きる・眠気・批判する思考などが起こってきたら、これらを手放せば苦しみは無くなるとすぐに手の動きに気づきを戻すのがカンポンさん流。
修行を始めてから約一ヶ月後、心に変化が起こってきました。
体の動きに意識を集中するあまり、気づきが体にくっついたように感じて疲れを感じるようになったのです。
変化に気づいたカンポンさんは、体に集中し過ぎないようにリラックスして、気づきを体と心それぞれ同じくらい観るように心がけました。
そうしたところ、「体と心は別物だ」とはっきりと自覚できたそうです。
つまり、確かに体には全身麻痺という障害がありますが、心の方は障害を負っていません。
結局のところは全身麻痺という障害を負った体を見て、余計なことを心の方が考えて苦しんでいるだけです。
ヴィパッサナー瞑想を続けることではっきりと気づき、別ものなら体に障害を負ってしまっても、まで障害を負う必要はないよねと理解したのです。
なぜ気づきの瞑想で苦しみを無くすことができるの?
ここまで読んで、なぜ手を動かしつつ動きを意識するだけで絶望を乗り越えることができたのかよく分からなかったという方もいるでしょう。
疑問に回答すると修行を繰り返すことで、「余計なことを判断せずにただ今起きていることを感じとれるようになった」からだと言えます。
そもそも、我々が苦しむのは「余計な判断をしてより状況を重くしてしまう」のが原因です。
もちろん、今日は何をするか?将来は何になりたいか?似たような商品があってどちらを買うべきか?など判断が必要なことはたくさんあります。
でも、同時に余計な判断もたくさんしていることに気づいているでしょうか?
カンポンさんのように、もし事故で全身麻痺になったらと考えてください。
誰でも「誰かの手を借りないとトイレにも行けないなんて」と未来を考えて絶望し、「あんな事故がなければ…!」と過去を考えて怒るでしょう。
これらは自分の体を見て、未来はどうなっている?過去はどうだった?と判断してより状況を重くしたのです。
誰でもやりがちですが、この判断は有益でしょうか?役に立つでしょうか?
いえ、役に立つどころか余計に絶望して、うつ病のような感じになるだけでしょう。
手を動かしつつ動きを意識する。
繰り返していくと思考も含めて今どうなっているのか気づく力が上がっていき、余計な判断をしてもすぐ気づいて手の動きを意識するに戻り、すぐ脱出できるようになります。
余計な判断に囚われなくなるから絶望まで行かないし、障害自体を受け入れて生きやすくなるのです。
カンポンさんに習って気づきの瞑想を繰り返したら苦しみが軽減した
カンポンさんに習って管理人も、気づきの瞑想に挑戦。歩く際の体の動きと、座っている最中は呼吸の観察を行いました。
カンポンさんは怪我で体を動かせなかったため手の動きでしたが、各自やりやすい方法で大丈夫です。
管理人の場合は、色々試して歩行と呼吸がやりやすかったので採用しました。
最初はどうしても気づく力が弱いので、例えばいじめを受けた時の記憶を思い出したりすると感情的になってしまいます。
それでも気づきの瞑想を繰り返していくと、いじめを受けた時の記憶を思い出しても一体化せずに外から眺めているような感覚になりました。
これなら今余計な判断をしているなとすぐ気づくので、余裕を持って体の感覚を観察に戻れます。
また、聴覚障害があることで未来をネガティブに考えてしまうことも、考えだしたらすぐ気づいて体の動きに戻すのでどんどん減っています。
記憶やネガティブな思考と格闘してうつ病のような状態になったこともありましたが、こんなに簡単なことで減らせるんですね。
これからも気づきの瞑想を行い、余計な判断を減らしていきます!
まとめ
正直に言って、もっとはやくカンポンさんの本と出会えたらと思うことがあります。
今までは辛い記憶やネガティブな思考をどう扱って良いか分からず、反応して苦しんでいました。
「「気づきの瞑想」で得た苦しまない生き方」では、扱い方ばかりかカンポンさんが質問に答える形でコツも書いてくださっているので、かなり参考になりました。
カンポンさんの本を読むことで自分も頑張ろうという気になるので、ぜひ読んでみてくださいね。
同じように苦しさを抱えている方は、絶望から解放されることを願っています。
マインドフルネスやヴィパッサナー瞑想のやり方を詳しく知りたい!
マインドフルネスやヴィパッサナー瞑想のやり方は、下記の別記事に詳しくまとめました。
興味のある方は、ぜひ一読ください。
マインドフルネスのやり方→マインドフルネスの簡単なやり方を知っていますか?
ヴィパッサナー瞑想のやり方→ヴィパッサナー瞑想のやり方を学んでネガティブな思考や記憶から自由になろう